MINESHA設立のこれまでとこれから
MINESHA代表 松本 ミナ

略歴
1974年 エジプト・カイロ 生まれ
小学校 - 日本、オーストラリア、フランス
中学校 - イギリス、日本
高校 - 日本、バーレーン
大学 - アメリカ
その他、北イエメン、サウジアラビア、リビアなど各国で生活した。

社会貢献のルーツ
小・中・高校生時代、 各国の現地校 カリキュラムで、寄付やボランティアを実体験しました。
様々な活動の中で、とりわけ、高校時代に通っていたバーレーン・スクールでの湾岸戦争直後のビーチクリーンアップのボランティア活動が衝撃的でした。週末に参加者を募り、ペルシャ湾に面した砂浜の清掃活動をするというものです。
隣国 クウェートの戦 火 から 出た煙なのか、空一面、ばい煙がどんよりと真っ黒い層を成しているなか、ベトベトでまっくろの重油まみれになった海鳥や、無数の魚の死骸、 衣服やダイビングスーツ、ボロ切れなどの生活ゴミや 、時には自転車までもが砂浜の波 打ち際に打ち寄せられ、それらを 拾い集め ました。
そのとき、戦争という 人間の行為が 自然環境に与える被害の一端 に接した衝撃にくわえ 、そうした損害に対する人間の 無責任さに、 漠然とした 違和感をぞっとするような悪寒 とともに感じたことを今でも覚えています。
バーレーンは直接の戦場にははらなかったので、戦場としての 生々しい惨状を実際に目にすることは ありませんでしたが、学校へかかってきた 爆弾テロの脅迫電話を偶然 受けるなど、 戦争というものが残す重苦しく緊迫した空気を否応なく肌に感じさせられ ました。
一方で、当時の情勢を客観的に振り返ってみると、あれ程、事態の真っ只中 で生活していたわりに、逆にむしろ、全体の現況 に ついての情報 アクセスが限られていたためか、パニック状態になる様な事は無く、 まるで台風の目の中に暮らして いるかのような、ある種、不気味な無風状態に生きていたようにも思えます。
問題の本質を客観的に見通す視野を維持する事が どれほど難しいことか、身をもって知らされた気がします。

意識的に選択して いくことの実感
高校卒業後 の1994年、 単身渡米し、ワシントンDCにあるマウントヴァーノン・カレッジに入学。
2年生の時にアメリカン大学に転籍しました。その当時、自分自身のこと、家族のこと、将来への希望と不安、これまで抱えていたいろいろなものが一気に噴出して、アイデンティティ・クライシスに見舞われ ました。
カウンセラーに相談するとうつ病との診断。それから1年弱、カウンセリングや薬治療を受けました。アメリカのうつ病治療はとても進んでいて、さまざまな治療方法があり、確かに効果があったと思います。ところが、ある日、ふと、「例え効果のある薬だとしても、それはあくまで対処療法の域を出ることはなく、根本的な治療とはなら ない」と 思い 、自主的にクリニック通院をやめることを選択しました。
その後、無事に 同大学 国際関係学部 開発学科(アジアの開発専修)の学士を修め、1999年に帰国。
常に自分の本当にやりたい事、世界との架け橋として出来る事とは何か、という問いを持ち続けながら、小売業界、通信インフラ、建設業界、広告・企画業界など 内外 さまざまな 企業・組織で働 き 、 同時に、かねてから関心があったアクセサリー 製作に 本気でとりくむ決意を固めていきました。
2003年に 大手デパート催事場 での出展活動を本格始動し、 それに必要な 各国からの材料調達ルートの確立に努めました。エジプト、イスラエル、アフガニスタン、インドネシア、タイ など から、アクセサリーの材料になる原石や材料、素材を調達するのです。頻繁に 現地職人 による手細工 製品(シルバー製品など)を買付けるようになり、 ジュエリー業界 のなかでの不当賃金や児童労働 といった極度の格差 が生み出す不公平な現実を目の当たりにするようになりました。 そうした 状況に疑問を 抱き始めた ころ 「フェアトレード」という考え方 を知りました。
そして、私のアクセサリーのお客様からの誘いを「きっかけ」に、2008年3月、初めてインドを訪問 。
アグラ城を歩いている際、言葉にならない「ホッとした感じ」を受け、インドと「真に 出会った」と感じ ました。この時の出会いを「きっかけ」に発展途上国の子ども達の現状を改めて考えさせられ、自分自身が本気でコミットすべき道筋が固まりました。

命の儚さ
2008年5月に再度インドを訪れたとき、自動車、人、リキシャー、牛でごった返すニュー・デリーの雑踏で、車道脇のわずかな段差のくぼみに、それこそ、自動車のタイヤが触れるすれすれの場所に、骨と皮にやせ細った老人が、生気なく力なく横たわっているのを目にし 驚きました。そして それよりも驚いたのは、周囲の人々が、 その老人にまったくの無関心で いることでした。

そのとき、同行のインド人の 友人とこういうやりとりがありました。

「助けなくてよいのか?」
「放っておけ」
「なぜ?せめて歩道のほうに身体をよけてあげるくらいのことは・・・」
「彼を、最後まで面倒みることができるのか?」
「いや・・・、それは・・・(できない)。 」
「なら、放っておけ。それが彼の運命なのさ」

その時は、それ以上返す言葉が見つからず、通り過ぎてゆかざるを得ませんでした。

帰国後、アメリカでのうつ病期のトラウマなど、目を背けていた自分の暗い部分をもう一度見つめ直したいと考えました。 自分の人生にまっすぐに向き合いたい、と。
その課程のなかでインド人医学博士ディーパック・チョプラの著作に触れ、本来あるべき心のありように近づく実感を得ました。

人の命は儚いもの。
でも、儚いからといって希望までも捨てる事はない。
むしろ、儚いからこそ自分も 他人もしっかり抱きしめて行く事が大切なのではないかと漠然と思えたのです。

MINESHAのこれから
それらの体験を経て 、私自身も何らかのかたちで、誰かの「意識改革」に繋がる「きっかけ」を発信できるようになりたいという気持ちを強くしました。
「MINESHA」という名の下でソーシャル・ビジネスをプロデュースするビジョナリー・プロダクション・カンパニーの設立を思い立ったのはそうした経緯からです。
今までにない発想と手法で社会の「正しい」現状を時に楽しく、時に 本格的に「知る」場を提供したいと考えています。一人ひとりの社会に対する「意識」をよみがえらせる「きっかけ」を 提供し、よりよい社会に導く事を目標としています。
私が個人として経験してきたこと、個人で行うISR® の実践はちっぽけなものです。しかし、その経験を共有し、 たくさんの人たちに、「一人ひとりが『できる』社会貢献」すなわちISR®に気づいてもらい、実践する「きっかけ」を提供できたら、世の中はもっともっと楽しくなる、私はそう信じています。
一人ひとりの「できる」社会貢献を集め、世の中が抱える問題を根本から解決し、よりよい社会作りを目指す 活動に 賛同してくださる皆様とともに成長し、楽しみながら前進したいと願っています。
どうぞよろしくお願い致します。

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